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クライング・サウス 〜 Crying South 第3回

【中国の影】

石油は70年代半ば、アメリカのオイルメジャー、シェブロンによって発見され、その後開発が進められたが、80年代の内戦の激化、南北の石油をめぐる対立などで開発を断念、92年、シェブロンはカナダの会社アラキスに売却、96年、アラキスは中国の国営石油会社CNPCなどとの共同出資でGNPOC(Greater Nile Petroleum Operating Company)、を設立。中国はその内の40%の株を取得、合弁企業の実質的支配者となった。98年に資金難でアラキスは撤退、カナダのタリスマン・エナジーが参入。中国はユニティ・オイルフィールド鉱区から紅海のポート・スーダンまで約1600キロに及ぶパイプラインを建設。翌99年には生産開始、ハルツームで精製された原油は中国によって建設された港から中国船によって本土まで運ばれた。

各国がスーダンの石油開発に熱い視線を送る中、93年のアメリカ政府によるスーダンのテロ支援国家指定以来、アメリカ企業は原則的にスーダンへの投資を禁止されている。その代わりアメリカはナイジェリア、チャド、ガボンなどギニア湾沿岸諸国の石油資源開発に力を注いでいる。現在アメリカの石油総輸入量の約30%はこうしたアフリカ諸国から来ている。中東石油地帯からアメリカによって締め出された中国は最近、そうした国々にも殴りこみをかけ、アメリカの足元を脅かしている。2008年、危機感を抱いたアメリカはアフリカにおける反テロワー対策という名目でAFRICOM(アフリカ統一司令部)を創設、AFRICOMの真の目的は反テロ対策だけではない、それはアフリカ大陸に進出、存在感を高めつつある中国の暴走----現在およそ80万の中国人がアフリカ大陸で生きている----を牽制するという重要な使命を帯びている。

スーダンは中国がアフリカで手に入れた最も重要な最前線基地、橋頭堡といっていい。すでに石油開発を中心に1兆円を越す投資をスーダンに投入している。

高い経済成長を維持するため、世界の誰よりも今中国は深刻に石油をはじめとしたあらゆる資源を必要としている。現在中国はスーダンの石油生産量の約60%を買っている、それは中国の石油輸入量全体の約8〜9%だといわれている(日本もほぼ同量の石油をスーダンから輸入している)。支払われた石油代金でスーダンは中国から大量の武器を買っている。中国はスーダンへの最大の武器輸出国である。その武器が南コルドファン(ヌバ山地)、ダルフールをはじめとした紛争、さらに南部石油地帯を守るために使われている。

【Displaced(被災民)】

目覚めは良くなかった。寒さ、騒音、不安と疲れ、テントのジッパーを下ろすと、すでにジェイムスが前庭の椅子に座って歯を磨いていた。プラスティック製の義足の片方が地面に転がっていた。歯ブラシを口に突っ込んだディクソンがのっそりとやって来て「ハバリ・ザ・アスブヒ(おはよー)」と挨拶をした。

7時半、すっかり空は晴れ上がり青空が覗いていた。やっとベッドから起き上がってテントの外に出た。洗面を済まし、朝めし(トースト+フライドエッグ+ネスカフェ)を食べた後、打ち合わせ、ジェイムスのアドバイスで、まず、知り合い?だというエリア・コミッショナー(地方行政長官)に挨拶に行くことになった。

庁舎はプレハブに毛の生えたような平屋だが、それでもここら辺では大きな建物だ。スパイと疑われないためにも当局には目的を説明し、顔を知られていた方がいい。

しかし、結局長官は現れなかった。ジェイムスの信用度マイナス1(ただし後で別の理由がわかった)。ジェイムスは90年代、ケニヤに逃げてきた大量のスーダン難民の一人だった。ヨーロッパ人のパトロンを得て在スーダン、身体障害者のNGOをナイロビで立ち上げた。そうしてオレとナイロビで知り合った。

オレはとくにパイプラインと石油地帯から追われた被災民、そして中国の影/プレゼンスを取材したいと以前からジェイムスに伝えてあった。オレタチは車である場所へ向った。赤茶けた道をしばらく走ると大きな木が見えてきた。さらに近づくと大勢の若者たちが木の下で唄を歌っていた。
青空教室だという。
「Displaced!(被災民!)」、ジェイムスが指差した。
オレは車を降りて木の方に歩いた。授業が終わり、家(キャンプ)に帰るところだったらしい。カメラをぶら下げた変な東洋人を見るとみんな集まってきた。だいたい12、3歳から17、8歳くらいで大半が男だ。中には二十歳過ぎの男もいた。
すでにジェイムスから被災民だと聞いていたのでオレは直ぐに聞いた。

「何故君たちはここにいるの、何があったの?」

しかし、こうした状況で一人でカメラを回しながらのインタビューは簡単ではない、こっちの知りたいことが必ずしもうまく返ってこない場合が多い、声も小さい、多くを語らない。とにかくアレンジなど何もない、すべてぶっつけ本番、直撃インタビューだ。

しかも今回のオレは何故か焦っていた。

オレ的、いやテレビ的には「チャイナ」という言葉、「石油」という言葉、そしてさらに「家を追われた」という話しが連続して、しかも強い批判的口調で出てくるのが一番いい。しかし、目の前の状況はそうした思いとは正反対に近い。

しかしオレもバカだと思う、何故そんなふうに焦るのか、なぜなら、しっかりと、声は低く、はにかんでではあるがちゃんとかれらは答えていたからだ。

「誰が今石油を掘っているんですか?」
「会社です」
「会社?」「どこの会社ですか?」
「中国です」

声は低く明らかにシャイで控えめだ。
しかし次の言葉は核心を衝いていた。

「石油会社で働いている人たちはわたしたちの畑(土地)を取り上げた」
さらに「なのにわたしたちには何の補償もありません、雇ってもくれません」
学生を中心に5、60人に囲まれていた。

「実際に石油を掘っているのは誰なの?」
「中国人たちです、たくさんいます」
「だからぼくらは住むところを追われたのです」
帰り際、先生がやって来て若者たちが歌ってくれた。

【パイプライン】

オレは学生たちに礼を言って近くのツクルに行った。水を飲みに行ったのか中庭はガランとして牛はいなかった。その代わり、ヤギの群れが午後の熱気を避けるようにして木陰にかたまっていた。女が出てきた。

いきなり女は、
「追い出されたのよ!」
「家も壊され、牛も持っていかれたのよ・・・」

少し強い口調で、だから生活は苦しいと訴えた。それにしては意外としっかりとしたツクルだったが、ジェイムスの話ではここに来て新しく建てたのだという。

その時、女が何かを指差した。
ジェイムスもアルミ製の杖を振り上げるようにして前方を指した。
「パイ・ライン(パイプライン)!」
二人が指差したその先には盛り上がった黒土が真っ直ぐ続いていた。
その側まで行って、
「パイ・ライン、パイ・ライン」と、杖で地面を叩いた。
「えっ?これがパイプライン!」
オレは完全に虚を衝かれた。

なぜなら、パイプラインは異様な姿を地上にさらしているとばかり思い込み、テレビ的にもいけるかもしれないなんて思っていたからだ。そうだったのか・・・・
「地下に埋めてあるんだーーー」
目の前の盛り上がった黒土の上には枯れ枝が無造作に転がっていた。
しかしその先には盛り土がどこまでも一直線に続いていた。

オレとジェイムスはその上を歩き始めた。カシャ∞カシャ≠ニジェイムスが点くアルミ製の杖の音が聞こえる。時折、不安定な盛り土から転げそうになる、しかしジェイムスは一歩一歩、しっかりと歩いた。オレは少しだけ支えようかと思ったが、止めた。

相手は、この大地の上で掛け値なしにあらゆる困難の中を戦い、生き抜きその果てに両足を切断した男、それでも今なお生きているタフな、いや普通ではない精神力の持ち主だ。オレの存在が小さく見える。

そうやって20分も歩いたろうか、目の前に小さな黄色いボードが立っていた。

『CRUDE OIL PIPELINE & CABLE(原油パイプライン&ケーブル)』と書かれ、下にはアラビア語の文字が並んでいた。

オレは中国石油争奪最前線、アフリカ・スーダンの大地の上から上海、北京へと真直ぐに続く一本の石油パイプライン、ドラゴン(中国)の背中の上に立っていた。

午後の陽射しが容赦なく照りつけ、傷ついた大地にライオン・グラスが揺れていた。

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