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黒い鎮魂/ブラック・レクイエム 第23回

【発動】

ルムンバを逮捕した側は狂喜した。だがそれははるか東のほうで、一層の力の結集をもたらした。スタンレービルを根拠にしていたルムンバ派のアントニー・ギゼンガは自由コンゴ共和国を起てた。アルベルト・カロンジの南カサイを加えれば、コンゴは4つに分かれた。スタンレービル軍の軍隊が南キブのブカブに侵入、キブを掌握した。さらにバルバ族主体の軍は北カタンガに進軍、チョンベを牽制した。ブカブが堕ちたことはレオポルドビルのモブツにとって衝撃だった。すぐにキブ奪還が計画、実行された。モブツの軍は兵員輸送面などベルギーからの多大な支援を受け、ベルギー信託統治下だったブルンジ・ルワンダ経由でキブに入ったが、混乱を引き起こしただけで、結果は失敗に終わった。モブツの威信は地に堕ちた。

ルムンバが逮捕、収監された後もルムンバの人気は衰えなかった。依然、コンゴ史上合法的に選ばれた唯一の男への期待と希望は大きく、熱狂的ですらあった。そのことを最も怖れたのはルムンバを逮捕した当人たちだった。監獄に送り込もうがどうしようがルムンバが生きている限り彼らは枕を高くして眠ることができなかった。

1961年1月17日早朝、ルムンバはレオポルドビルから、釈放と脱出の可能性がゼロに等しいチョンベの本拠地、カタンガに突如移送された。ティスビルからエリザベートビルまでの6時間、機内(DC-4)でルムンバとムポロ(青年、スポーツ相)、そしてオキト(上院議員)の3人は、監視の兵隊に殴る蹴るの暴行を繰り返し受けた。エリザベートビルに着陸した後もさらにカタンガの憲兵隊員に同様の暴行を受けた。

それより3ヶ月前の1960年9月、ルムンバ抹殺についての計画がすでにレオポルドビルの対岸、コンゴ・ブラザビルで練られていた。ルムンバ暗殺を狙ったバラクーダ作戦の発動だ。計画立案の首謀者はモブツのベルギー人顧問ルイス・マリエル大佐である。「1960年のドキュメントの中で、当時のベルギーアフリカ担当大臣であるハロルド・リンデンははっきりとルムンバの最終的抹殺こそがベルギーの利益である、と述べている」(コンゴ)。

飛行場から彼らはさらに近くの無人の家に連れて行かれた。周囲は軍隊、警察、さらにベルギー人軍事顧問らによって取り囲まれていた。ルムンバはここでも手酷い暴行、拷問を受けた。カタンガのリーダーであり、ルムンバの宿敵でもあったチョンベもまた暴行に加わったといわれ、宿舎に戻った彼の服は血に染まっていたという。殺害の決定は即座に下された。暗闇の中に、辺りのサバンナ乾燥林が静まり返るその日の夜10時、3人はさらに30マイル離れた場所に連れて行かれた。すでに3人のための墓が掘られてあった。墓穴の前に立たされた3人は裸足だった。ルムンバとベルギー警察地区司令官との間で短い会話が交わされたが、銃撃隊は直ぐに発射、3人は穴の中に崩れ落ちていった。パトリス・ルムンバの39年の生涯は閉じられた。彼もまた歴史的殉教者の列に加えられた。この時ルムンバは、後に続く5人の先頭に立って”黒い鎖”に繋がれた。

暗殺が白日に曝されるのを恐れたベルギーは翌日、ルムンバの遺体を掘り出し、さらに遠くに運んだ後、細かく切り刻み、硫黄酸に満たされたドラム缶の中にそれを投げ込んだ。歯と頭蓋骨と体骨は辺りの藪の中に播かれた。全てが闇に葬られたかに思えた。だが外部にルムンバの死が伝わるや、世界中から激しい怒りの声が湧き上がった。関係国の大使館が襲われ、デモが続いた。世界30カ国を越す都市で抗議行動が繰り広げられた。国連本部にはさらに激しい抗議が殺到した。だが時すでに遅かった。植民地主義、帝国主義の頸木から脱し、真に自由で解放されたコンゴ、アフリカを夢見た男はもうそこにはいなかった。

ルムンバ暗殺の直接的責任は、ベルギー政府、軍、秘密警察、情報機関、そしてレオポルドビルのモブツ、カタンガのチョンベを頂点とした権力、軍、警察関係者にあった。国連は最大のミスを犯した。任務権限(マンデート)が何であれ、選挙で選ばれ、法的正当性に護られた一国の首相を選ばず、敵対勢力というカードを引き、ルムンバを守れなかったからだ。それはまさに国連の合法性さえもまた疑われるに等しい愚挙だった。あらゆる人間、あらゆる国と機関からさまざまな言い訳がなされた、だが全ては後の祭り事だった。この時、国連は暗殺者の側に立ったといっていい。以後、30年以上にわたってコンゴは軍人上がりの、何処にも正当性を見出せない一人の男――モブツによって支配され続けた。もう一人の勝者がいた。アメリカだ。ルムンバ暗殺(毒殺)を計画したアメリカはソビエトを追い出し東西冷戦に勝利しただけではない、さらに重要なものを手に入れた、コンゴの地下に眠る膨大な鉱物資源だ。他の誰でもない、コンゴの最高権力者、ジョセフ・デザイア・モブツがそれを保障してくれるのだ。

コンゴがルムンバによって共産化し、鉱山関係企業が国有化するのを恐れたアメリカは、それを阻止するのに全力を注いだ。それがルムンバ追放、抹殺プロットだ。東西対立の軍拡競争の中で、軍事、防衛、宇宙、航空産業にとって絶対に欠かせないレア・メタル、コバルトをソビエトが支配するのをアメリカは極度に警戒した。アメリカにとってことは一見順調に運んでいるかのように見えた、だがこれは、その後の長い戦いのほんの序曲に過ぎなかった。

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