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黒い鎮魂/ブラック・レクイエム 第17回

【命運/コンゴ・クライシス】

6月30日、祝福されるべき独立当日の木曜日、街はしかし言い知れぬ不安に包まれていた。この時すでに、コンゴ解放を夢見た男、パトリス・ルムンバの命運はある力によって握られていた。この日からおよそ6ヵ月半後、ルムンバは暗殺された。この6ヵ月半はしかし、ルムンバの運命を決めただけではない、コンゴ、いやその後のアフリカの命運を決めた6ヵ月半であったといっていい・・・・・。

街には反ルムンバ派、権力からはずされた者たち、さらに白人たちの間で不満がくすぶっていた。独立から1週間と経たない7月4日早朝には、労働者たちによるストライキが起きた。群集を鎮圧するために公安軍が出動、発砲により9人が死んだ。ルムンバの前に二つの困難な問題が立ちはだかった。一つは軍であり、二つ目はカタンガの分離独立への動きだ。

熱狂的支持を受けていたとはいえ、軍のコントロールとカタンガの動きは、統一コンゴという理想が先行する新しいリーダー―――ルムンバの問題解決の力をはるかに超えていた。東部のキブ州でも分離への動きがあったかと思えば、その一方でカタンガのBalubakat党はカタンガ分離反対の行動を起こしていた。これが独立直後の状況だ。

二つの大きな流れ、傾向があった。あくまでもコンゴ民族の解放と自立を目指す派、そしてよりヨーロッパに近く彼らの価値観を受け入れることに抵抗を示さないグループだ。前者にはジェイソン・サンデュエ、プロスパー・イルンガ、そして30余年後に再びコンゴ政治の表舞台に浮上し、何者かの手によって暗殺されるローラン・カビラなどが、また後者には、大統領に「指名」されたジョセフ・カサブブ、ジャスティン・ボンボコ、モイセ・ツヲンベ、そして後にルムンバ亡き後、大統領にまで登りつめコンゴを私物化したジョセフ・モブツなどがいた。

独立宣言から1週間と経たないかくも早い時期に、またあたかも予定されていたかのごとく何故二つの問題が表面化し、瞬く間にコンゴを混乱に陥れていったのか・・・・。軍隊の指揮権の性急なコンゴ人化に懸念を抱いていたルムンバが、多くのベルギー人の将官を残していたことについてはすでに書いた。ルムンバがコンゴ軍の統制の維持を頼みにしたエミール・ジャンセン将軍はその代表だ。だがその起用はハッキリと裏目に出た。ジャンセンの軍人特有の傲慢な態度と、有名な「独立前、独立後―――何も変わらない」発言は、独立の果実――階級昇進、給料の増加など――を欲していた一般兵士を強く刺激し、激しい反発を呼んだ。酒に酔った兵たちの暴行、略奪が街を恐怖に陥れた。

兵士たちはジャンセンの解任要求だけではなく、ルムンバの解任までも要求、さらに抑えの効かなくなった兵士たちはヨーロッパ人たちをも襲撃、中には強姦される者もいた。ベルギー人をはじめとしたヨーロッパ人たちは恐怖と混乱の中、こぞってコンゴ脱出を図った。事態の沈静化、和解への交渉が持たれ、軍のコンゴ人化が進められた。新司令官にはビクター・ルンドラが、そして大佐として、参謀長には公安軍で6年の経験を持つジョセフ・モブツが指名された。

この時ルムンバとモブツは首相と参謀長という立場で初めて直接に繋がる、つまり一本の黒い鎖(暗殺と追放)によって結ばれたのだ。しかもルムンバは、その自信と紙一重ともいわれる傲慢さからか、当時すでに巷間ささやかれていた「モブツとベルギー、アメリカの情報機関との緊密な関係」(コンゴ)についての注意を聞き入れようとしなかった。さらに同書は指摘する「この微妙な地位にモブツを任命することによって、ルムンバは無意識に自らのユダを選んだ」のだと。

ルムンバ、カサブブをはじめとした関係者たちによる説得も効を奏さないまま混乱は続いた。ベルギー人たちのコンゴ脱出は相次ぎ、独立宣言からわずか10日でコンゴは、崖っぷちに立たされた。それは単なる時のモメンタム(勢い)なのか、それとも背後には見えない力が働いていたのか・・・・、コンゴというカオスは一気に転がり始めた。キブと低地コンゴではやや持ち直したものの、だがカタンガでは事態は急速に悪化した。

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