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アフリカ・フロントラインから見えてきた日本
vol.2 (2)

■ディアスポラ(離散民)

「歌舞伎町にはナイジェリアのどこ辺から来ているの?」
「みんな南部からさ」
「北部からはいない?」
「ノ、ノー」
「どうして?」
「北部の奴らは石油を支配してそれでたらふく食ってるから日本に来る必要がないよ」
「じゃあ、南部は・・・」
「確かに油は南部にある。だけどオレタチのものじゃない。だから食えない、いつも腹が減っている!」

食えないから、男たちはナイジェリアからこの歌舞伎町に来ている、いや潜り込んでいるのだ、男はそう説明した。
イボ、オゴニ、イジャウ、ヨルバ・・・・、多くの民族が歌舞伎町にひしめいている。
ただ男が言うほど、食えない人間たちの存在と南北対立の関係はストレートではない。南北共に大量の食えない人間たちを抱えていることはまちがいない。
だがそうしたロジック(食えない論理)で行くと、日本人も食えなくなったら、つまり腹が減ったらナイジェリア人や中国人のように外≠ノ出て行くだろうか。それに日本人が食えなくなるっていうのはどんな状況なのか・・・・。食料自給率、資源自給率の低さから考えればそうした日がまったく来ないという保障はないが、しかし世界第2位の経済力を誇る日本にほとんどその実感がないのが現実だ。

男の持ち物の中に英語版のイエローページ≠ェあった。あちこち、物凄い数のマークがついていた。
その時男が一枚の書類を抜き出した。
白い紙は薄汚れ皺が寄っていた。紙の頭にはある公的機関のロゴが印されレターの信頼性を表向きは保証?していた。男は初めの数行をオレに見せながら読んだ。その時、男はある言葉を強調した。

「Diaspora/ディアスポラ(離散民:厳密には故郷を終われたイスラエル人のこと)、オレタチはみなディアスポラだよ」

オレもディアスポラという言葉は以前から知っていた。アフリカ問題を扱った雑誌ではよくディアスポラの特集を組んでいる。それらはアメリカ大陸に強制的に連れて行かれた奴隷とその子孫のことだったり、苦しみのアフリカを逃れてヨーロッパに新天地を求めて地中海を渡るアフリカ人たち、さらには戦いで国を追われた難民たちのことだったりした。それは望まない形で国を逃れた人間たちのことだと思っていた。今、目の前にいる男をはじめ、歌舞伎町に自分の意志で∞稼ぎ≠ノやって来ている者たちまでもディアスポラと呼ぶとは思わなかった。しかし男はオレタチはみなディアスポラさと繰り返し言った。オレは、

「じゃあ、国を離れたディアスポラってのは単なる離散者や難民じゃないの?」と聞いた。

「そこさ、大事なとこは」

男は続けながら、書類を指差した。
そこにはディアスポラの「ミッション/使命」について書いてあった。さらにResources(資源〈人間と物〉、機知)≠ニいう文字がはっきりと刻まれていた。

「どういうことだ」

わかり易くいうとこうだ。
「国を追われあるいは自らの意志で他国に行き、稼業に励む者タチ----ディアスポラ----には一つの使命がある。それは自分の国(母国)のために、居住先国の資源、物資、機知(情報)などあらゆるものを持って帰ること、その代わりに自分たちの国の産物、人間≠ネどを貿易、潜入という形で送り込む」
男はざっとそんな風な説明をした。

食えなくなり腹が減って国を出た存在であると同時にディアスポラとしての使命(mission)≠熾奄チているということだ。
そこは誤解のないように言えば、日本人の踏み入れることのできない、あるいは思いも付かない世界だ。オレタチの島国以外の「人間経済、商売」はこうした原理、軸で回っているということだ。
簡単に言えば、「ディアスポラ」は滞在先国で同国人、民族を中心とした「ネットワーク」を創り上げるといっていい。ネットワークとは物、金、人、そして情報だ。当然そうした商売、行動の中には滞在国の法律と紙一重、あるいは法律を犯して行われている場合も少なくない(それはまた別のジャンル、マフィア、裏社会などで扱われる問題だ)。

こうした国際的、人間的局面から視た日本という存在の弱さはこのディアスポラ集団、ネットワークを世界に持っていない、創れないという点にある。もっと砕いていえば、貴重な情報と資源を日本にもたらす日本人難民≠ェ世界展開していないということだ。言葉を変えて言えば以前にも書いたがワレワレにはそうした「フロントライン」がないということだ。

男は言った。
「アナタタチにはこうしたアプローチが無いんだよね」
「ウン、ここは天国だからね、外に出る必要性がほとんど無い」

オレは日頃考えていたことを男に言った。
「そうした意味では取り残されているのかな?」
「ヤー、ユーアー・レフト・ビハインド(取り残されてるね)」

それにしても何故彼らはそうしたことが可能なのか、単なる貧困等がそうさせているのか・・・・?
それは多分、どこにでも最初に行って生活する先駆的奴らとそれを理解し支援する人間、組織があるからだ。そう考えた時、昔、タイに行った山田長政を思い出した。あるいは中国の華人(華僑ではなく本国との繋がりのずっと強い中国人移民、ビジネスマン他)もだ。日本にはなぜそうしたネットワーク、コミュニティが育たないのか、その答えは簡単だ。本国、あるいは日本人自身がそうした同胞に冷たいか、まともな人間≠ナはない、あるいは所詮そうした人間は本流≠ゥら外れた者たちという評価しかしないからだ(ならば戦後60年、日本の本流≠ヘ何処にあるのか、そしてどのようなビジョンを持って日本≠支配し、未来への舵を取ろうとしているのかという問いにぶつかる)。

現時代=Aアフリカをはじめ世界を歩いてみると、僻地で頑張る同胞に対するそうした態度、姿勢は日本にとって重大な弱点のように思える。これほど内に籠もって守り?を固めようとしている人間集団はそうはいない(それほど日本は快適〈アメニティ空間〉ということか、確かにそうともいえる。貧しいオレもその一部を享受している)。しかし先を考えた時、内に籠もってばかりもいられないのではないか、様々な理由でもっと多くの日本人が外に出て行く日が来るかもしれない。一つのキーワードがある。「攻める国際化」だ。国際援助とか協力といった形だけではない「攻める国際化」、あるいは「出て行く国際化」の中で、日本が内に抱える問題解決のヒント、糸口(知恵や情報)を探る。もちろんそれには確かな個の力とそれを支える民族としてのデザイン=戦略が要求される★。

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