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黒い鎮魂/ブラック・レクイエム 第27回

【妥協/アルーシャ合意】

民主化の圧力、複数政党制、さらにRPFの侵攻、フツ族至上主義者、フツ族過激派の危機感はいやがうえにも高まっていった。92年に入るや彼らにとってさらにとんでもない”事件”が起った。90年代に入って継続するルワンダの危機、戦いに対して国連、OAU(アフリカ統一機構、現AU)を中心とした国際社会が停戦、和平を求める圧力をかけ始め、それに誰あろう、大統領自身が応えようとしたのだ。それはツチとの妥協以外の何もでもない、フツ族の間に自分たちの優位が崩れ去るのではないかという敗北感、そして危機感が一気に広がった。

虐殺の半年前に結ばれたアルーシャ合意は、ツチ(RPF)、フツ(過激派、対ツチ強硬派)双方にとって大きな、しかし決定的ターニングポイントだった。合意そのものは複雑な過程を経て主に4つの主要部分から成る総称といっていい。92年7月/停戦、同10月/権力配分、93年1月/難民帰還協定、同8月/統一国軍創設、600人のRPF兵士キガリ駐留等々、だが右手で握手しながら左手で人殺しと戦争を仕掛ける合意が思惑通りに運ぶわけがなかった。しかしそんな内部の深刻な状況にはお構いなしに、93年10月には、ルワンダ政府軍(RGF)とルワンダ愛国戦線(RPF)の停戦を受けて国連安保理決議(872)はUNAMIR(国連ルワンダ監視団)の創設を決議した。司令官のロメオ・ダレルはじめ、第一陣は12月にはルワンダにオフィスを開設、国連旗を掲げた。その後ベルギー、バングラ、ガーナ、チュニジアなど各部隊が到着した。だが、全ては遅きに失していた、すでに何万というツチ族、あるいは穏健派フツ族が過激派(インテラハームウェ、政府軍強硬派など)の手によって屠られていた。モット早く介入していれば恐らく相当数の人間の命は救えたにちがいない。何故かいつもこのタイミングの遅さは繰り返されている。

机などのオフィスの部品から燃料に至るまであらゆるものが不足し、またマンデートは停戦監視、新しい国づくりの側面支援といった程度で、もちろん殺戮を目の前にしてそれを”止める”権限(武装解除)は与えられていなかった。前年の93年に起きたソマリアの失敗が影を落としているといわれているが、しかしそれだけではない・・・・。ことの重大さを考える時、UNAMIRの準備不足、貧相さは誰の目にも明らかだった。

【1994年4月6日】

その夜、94年4月6日、ルワンダの首都、キガリのカノンベ飛行場は漆黒の闇に包まれ、高台になったカノンベから見下ろすキガリの街には明りが灯りいつも通りの静けさに包まれていた。丁度、ワールドカップの頃だった。テレビのある家では多くの人間たち(ツチもフツも)が試合を見ていた。8時過ぎ、定期便であるベルギー軍のC130ハーキュリー輸送機を上空待機させながら、一機の小型ジェット機が着陸態勢に入った。8時15分前後だった。目撃者の証言によれば、その時、わずかな時間を置いて2発の火の玉が漆黒の闇に向って飛んでいったという。ミサイル発射の瞬間だ。ルワンダ虐殺全体の事実の確定はまだ完全になされたとは言い難い、その中でも特にこのミサイル発射、すなわち大統領機撃墜に関しては確定されていない。誰が真犯人なのかという決定的に重要な問題は別にしても、細部に関しても異なる報告がなされている。着陸直前に一時的に飛行場が停電になったとか、また発射された2発のミサイルに関しても、1発目は外れ、2発目が命中したという発表と、2発とも命中し、特に尾翼を捕らえた2発目が撃墜させたという報告があったり、さらに発射場所の特定に関してもいくつかの見方があるなど、混乱している。もちろんそれら全ては事件の核心である犯人の特定と結びついてくるので、公的に”確定”しない方がいいということなのかもしれないが・・・。

その夜、大統領はタンザニアの首都、ダル・エスサラームで開かれたブルンディの和平を巡る中部アフリカ平和会議(必然的に会議はルワンダの暴力的現状に多くの時間が割かれたという)に出席しての帰りだった。この会議の設定そのものに胡散臭さと疑問を提起する者もいる。何故この時期に、たいして具体的成果を挙げるとも思えない会議をわざわざ行うのか、そもそも大半のアフリカのリーダーは多かれ少なかれ常に暗殺の危険に晒されている、外遊は一つのリスク(賭け)といっていい。

8時20分、2発のミサイルの餌食なったファルコン小型ジェット機は皮肉にも大統領公邸の庭へ向けて闇の中を墜落していった。ジェット機は友人でもあるフラン大統領ミッテラン氏からのハビヤリマナへの贈り物であった。夜の闇を落ちて行く真っ赤な物体に周辺のほとんどの者は気付いていた。それはあってはならない異変であった。ルワンダの危機が現実のものとなった。誰よりも素早く動いたのは軍であった。ベルギー軍、ルワンダ政府軍、UNAMIRには異変に危険を感じた多くのツチ族、フツ族穏健派からの身辺保護についての電話が殺到した。だが、30分後にはそうした者たちのわずかな希望を打ち砕くように対ツチ族フツ族最強硬派、大統領警護隊が行動を開始していた。カノンベを囲むマサカ・ヒルに警護隊は殺到、目撃者の口封じ、住民の逮捕、殺害、あらゆる手段を持ってツチ族に襲いかかった。その手にはすでに反政府危険人物のリストが握られていた。

この最初のリアクションで大統領警護隊は3000人のツチ族を殺したといわれている。そうした動きと合わすように首都キガリの街中には、至るところにバリケードが設置され、何処から沸いてきたのか酒に酔い、酒ビンとマチェット(ナタ)を手にした無数のインテラハームウェたちがツチ族を捕まえ、殺すために目を光らせていた。首相をはじめとした穏健派フツ族、ツチ族の救出に向ったUNAMIRベルギー部隊の11人は、この検問に引っ掛かり、さらに駆けつけた首相官邸で政府軍兵士に拘束、連行され、拷問の末殺害された。アガサ・ウリンギマナ首相(女性、フツ族)もまた同じ運命にあった。この時、後にルワンダ虐殺と呼ばれるツチ族の大量殺戮が始まったのだ。多くの識者が言うように、それはまさに”Planned(計画された)”だった。

では、”planned”全体の中で、”大統領機撃墜/(ハビヤリマナ暗殺)”はどんな意味を持つのか、また誰が撃ち落したのか、ある力とは何なのか、ということが大きな疑問、最大の焦点となって浮かび上がってくる。ここでは、大統領機撃墜があってもなくても大量殺戮(ルワンダ虐殺)はあったという見方はとらない。その理由は後ででてくるが、一つだけ言えるのは、それ――撃墜が、直後の展開にもたらしたインパクトの違いだ。

ルワンダ大統領、ハビヤリマナはある見えない力によって殺された。その事実経過に関する話は一応ここで終わる。これからは、何故、誰の手によって殺されたのか、その死の背後にある見えない力について追ってみる。大事なのは、虐殺は全体ストーリーの一部であるということ、ストーリー=ルワンダ事件は少なくとも次の4つから成っていることを忘れてはならない(1)虐殺(2)内戦(RPF/ルワンダ愛国戦線対RGF/ルワンダ政府軍・フツ族過激派)(3))難民大量脱出(4)第二虐殺である。そこまで話の地平を広げなければハビヤリマナ暗殺、見えない力の正体は見えてこない。

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