大津司郎ウェブサイト、アントールドフロントライン。アフリカの地平から世界を開く。

活動報告

2007年8月30日

ルワンダ・スタディツアー

『ルワンダ・スタディツアー』、今年で3回目!拓大の学生を中心に、他大学の学生、社会人も参加。2005年(タンザニア/エイズの患者、ストリートチルドレンとの交流)、2006年(ケニヤ北部/カクマのスーダン難民キャンプ+ロキチョキオにある国連救援活動/OLS=Operation-Lifeline-Sudanのベースを訪問) 今年、2007年は、遂にルワンダだ。なぜか参加者もいつもの年よりは多い14人だ。ボクと拓大の甲斐先生を入れると何と16人という大勢だ。ツアーでは、キガリ市内と4ヶ所の虐殺サイトを訪問した。タラマ教会(キガリから車で約50分、4千人が殺された)→ニィヤマタ教会(約3千人が殺された)→ルスモ橋(ルワンダ・タンザニア国境の峡谷に掛かる橋、96年12月ここを約70万のルワンダ難民が渡ってルワンダに帰還した)→ニャラブイエ教会(2万6千人が殺された/人間ミンチ、ハンバーグ、さらにレイプをした場所等々、あまりにも生々しい。虐殺の生き残りの方にお話を聞く!学生、社会人諸子の真剣な眼差しが印象的だ)→ムランビ(ギコンゴロ地区全体では約5万人が惨殺された、多くは埋葬されているが、5千人ほどの遺体が墓から掘り起こされ、虐殺現場となった技術学校のクラスルームの台の上に置かれていた、想像を超えたショッキングな光景!死体は生身の当時のままだ。腐敗防止の石灰と匂い消しのレモンを大量にかけられた死体は苦痛にゆがみ、手足は空中を蹴っている。生きたまま埋められたためだろう、苦しみと生への渇望が苦悶の表情と姿の中にハッキリと見て取れる。死んでなお生きている、とはこのことだ)

●来年〔2008年〕は、再びルワンダか、平和条約締結(CPA/2005年1月)後、なお「紛争と開発」のハザマに揺れる南部スーダンを予定している。いずれも今、動くアフリカ現代史の現場を直撃!する予定だ

2007年8月17日

『ケニヤ・マサイマラ・ヌーの大移動&河渡り』を見に行くツアー

恒例の『ケニヤ・マサイマラ・ヌーの大移動&河渡り』を見に行くツアー、1992年からやっているので今年で何年目だろう・・・・。今年は例年と比べるとやや小規模だったが、それでもしっかりと見ることができた。最近、世界中からこの渡りを見るために大勢の観光客がやってくるようになり、ヌーたちへの環境ストレスも相当なもので、以前は河岸ぎりぎりのところで自由に?見れたのだが、今年は、河岸のところにレンジャーがいて必要以上の観光客の接近を監視していた。アフリカの自然と野性の世界でこのヌーの河渡りは”究極”だ。何度見ても素晴らしい!!だから16年間もこのツアーをやっているということだ。

2007年8月16日

JICA(新宿)アフリカ勉強会

JICA(新宿)にてアフリカ勉強会(有志)を開催。主に紛争問題、今何が起きているかなどについてビデオ映像を交え話す。

2007年8月14日

ニュース・ジャパン(フジテレビ)向け現地取材(ケニヤ、ウガンダなど)

『ニュース・ジャパン』(フジテレビ)取材ビデオON-AIR/『格差社会―アフリカの光と影』、陰の部分としてナイロビのイシリー地区のスラムとキベラ・スラムをナイロビ市警犯罪課の刑事と潜入取材、光のパートは現在ミニブームといわれるケニヤの株式市場と関連を取材。キベラはゴミに圧倒されるが、イシリーはソマリア難民や多くの犯罪者もまた潜み、危険な匂いが一杯だった。ナイロビ証券取引所では、ディーラーたちが赤い服に身を包みコンピューターを操作しているのが印象的だった。もう一本は、今、ウガンダで盛んなマイクロファイナンス(バングラディッシュで始まり世界中に広まった無担保、低利、小口融資)を取り上げた『マイクロ・ファイナンス/ウガンダレポート』、カンパラ郊外に住む一人のおばあちゃんを取材、彼女の生活とマイクロファイナンスとのかかわり、カンパラの町の表情、その他の利用者の話などを含めレポート。それぞれ6分+という短いレポートではあるが、「今、アフリカで何が起きているのか」という"NEWS-STORY"(ドキュメンタリーとも違う)というジャンルでレポートしている