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「アフリカのホットゾーンを体感!」

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ケニヤ、カクマ難民キャンプ

「何故、難民たちは帰らないのか」/2005年1月の平和条約締結後も、ケニヤ、カクマ難民キャンプには、なおスーダン内戦を逃れた約9万人の難民たちが暮らす。南部スーダンの戦火を逃れた難民以外にも、ソマリア、コンゴ、ルワンダ難民などがいる。1992年、少年達を受け容れるキャンプとして出発、病院、学校、職業訓練学校、養護施設(特に精神的弱者達をケアしている)などがある。食料配給は難民たちの生存に関わるセンシティブな場面のため、撮影は禁止された。同時に、国連南部スーダン支援活動(OLS/スーダン生命線作戦)のベースであるロキチョキオ基地を訪問。

ルワンダ、虐殺教会(タラマ教会orニャラブイエ教会)、虐殺の生存者との面会

「虐殺から10余年、今どうなっているのか」/すでにルワンダ虐殺事件から10年以上が経過、首都、キガリの町には活気が戻ってきた。しかし、現在でも、虐殺現場、跡は当時と変わらぬまま生々しく残されている。散乱する人骨、歯、髪の毛、服、思い出の品々・・・、その凄まじさに驚かされる。ルワンダの事件はまさに現代史として、今の話であり、決して終わっていない、コンゴで起きた多くの事件、武力紛争を見れば、ルワンダ虐殺が終わっていないことが分かる・・・・。

北部ウガンダ、恐怖を逃れ、毎夜、少年達[ナイト・コミューター]が眠りにやって来る

「何故、少年達は夜毎眠りにやって来るのか?」/今なお、北部ウガンダにはLRA(神の抵抗軍)の襲撃を逃れて、数十万の被災民達がキャンプ生活を送っている。LRAは特に少年少女たちをターゲットに誘拐し、少年兵や性的奴隷として強制的に働かせている。少年少女たちは、LRAの恐怖から逃れ、寝るためだけに、夜毎、グルの町にある施設にやって来る。ツアーではその中の一つ、「ノアの箱舟」「被災民キャンプ」を訪ね、子供達と接する。遠い者は2、3時間をかけてやって来て、翌朝7時過ぎには家族の待つキャンプに戻り、学校に行く・・・・。