Untold FRONTLINE [大津司郎サイト]

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2009ソマリア取材報告 [3]

ホテルの部屋の中は蒸し暑い、窓は開けていいがしかしカーテンは絶対に開けるなと注意された、中に外国人がいることが分かると、襲撃され、誘拐される可能性があると脅された。3ヶ月前、別のホテル(といっても普通の町のように外国人が泊まれる場所はごく限られているが)で二人のフランス人の軍事専門化が誘拐された。その時、ホテルの護衛全員がアルシャバブの手によってまず武装解除されたという。その轍を踏まないためにもオレの存在は知られてはならないということだ。

何が気分が悪いって、やはり一番は誘拐≠セ。この恐怖はずっしりと重く、友人とはいえ常に周りのソマリア人たちの動き、表情さえも気になってしまうくらいだ。3ヶ月前の大規模なテロ攻撃以来、すべての外国人は撤退したという。セキュリティのプロフェッショナルであり、ホテルのオーナーでもあるBはこのモガディッシュで今外国人はお前一人だと、オレに言った。ホテルにはBが雇っている私兵が10人ほどいる。だいたいが元ソマリア政府軍兵士、フリーランスのゲリラ、あるいは民兵などだ。

ベッドの側に防弾チョッキとヘルメットを置き寝た翌朝、中庭が何か騒々しかった。今日は大統領に会いに行きインタビューをする日だ。下を見ると色の違うランドクルーザーが一台止まっていて、5人ほどの護衛がホテルの私兵(護衛)たちと話しをしていた。今、世界で最も危険な街、モガディシュの中でさらに危ないこと、それは大統領に会いに行くことだ。イスラム過激派たちにとって大統領は最高の標的だからだ。間違っても外国人が大統領に会いに行くことを悟られてはならない。今、会うことの難しいソマリアの大統領に何故会えたかというのは友人のソマリア人たちの強力なコネがあったからだとしか言えない。

朝8時前、オレと友人のA、そしてMを乗せた車と前後を守る護衛車(ランクル・サーフ)の計3台は大統領が待つヴィラ・ソマリア(大統領府)に向けて静にコンパウンド(敷地)を出た。途中猛烈に車は飛ばした。オレは後部座席の真ん中に座りカメラを回している。穴ぼこにタイヤが落ちるたびに車は激しく揺れ、バウンドする。

オレは必死に目を凝らし16年前(93年)の記憶を探った。大きく変わったようででも変わっていない気もする。混乱と戦闘が続くモガディシュは停滞の中にあったのか。ところどころで記憶が蘇ってくる。飛行場から町の中心へと繋がる要衝としてアメリカ軍が警備を固めていたランダバウト(円形交差点)のK4は変わっていなかった。街の至るところにはテロ防止のコンクリートブロックが置かれ、AMISOM(アフリカ連合軍)の兵士がパトロールをしている。

そんな中でも車窓から見える市民生活は一見普通に見える。乗り合いバスも走っていれば、街行く人たちの姿も少なくない。テロや戦闘が頻発する中でも市民たちは生きてゆかなければならない。ただ無人となった家々の壁に開いた無数の弾痕がここが普通の街ではないことを教えてくれる。

途中、数台のAMISOM(アフリカ連合軍)の白い装甲車が前を横切った。銃眼からは機関銃の銃身が顔を出している。助手席に座っているMが「何故車を飛ばしているかというと、この道には地雷(道路爆弾)が埋まっているからなんだ」と説明してくれた(それから5ヵ月後、オレはケニヤのナイロビでMと再会した。その時、大統領に会いに行くときの話しが出た。

Mは実に興味深いことを話してくれた。その日[10月21日/09]の朝、アルシャバブと連絡を取ったというのだ、これは驚きだった。彼らのいう反対側〈アルシャバブを指す〉≠ニの話の中でMはセキュリティ、とくに大統領府へと通じる道の安全について聞いたという、反対側の話では道路爆弾を埋めてあるという。Mがオレタチは大丈夫なのかと聞くと、反対側はオマエラを殺すプライオリティは高くないので多分起爆しないと言ったらしい。

その時、もしかしたらオレタチが狙われていたという恐怖よりも、彼らが作り上げ、縦横に張り巡らせた情報ネットワークの底の深さ、無気味さに言葉が無かった。それと似たようなことは海賊とその人質の居場所、処遇等についても言える。Mは緊密な連絡網の中である人質の処遇についてかなりの情報を掴んでいて、その一端をオレに話してくれた。人質[例えば10月、ヨットでタンザニアに向う途中、セイシェルズ沖で海賊に捕まり人質となったイギリス人夫妻]は定期的に移動させられ、また身代金目当てのクラン同士の奪い合いのターゲットとなり、常に危険な状態にあるという)。

街を抜け、毎朝大統領がお祈りをするというモスクを右に見て直ぐに車はヴィラ・ソマリア(大統領府)の敷地内に入った。3つほどの検問を抜け、車を止め、建物の入り口で最後のボディチェックを受けた後、大統領を待った。

95年、国際社会が撤退した後のソマリアの経緯を書くのは容易でないが、戦いがそれまでのクラン(氏族)、軍閥を中心とした権力争いから、2000年以降、さらにそこにイスラム法廷(ICU)、アルシャバブなど過激なイスラム各派が本格的に参戦していったというのが大体の流れだ。

現暫定政府(TFG)大統領のシェイク・シャリフ・アーメドは元イスラム法廷のリーダーで、穏健派といわれアメリカ、エチオピア、国連など国際社会の支持を受けている。しかし暫定政府の実効支配地域が首都(モガディシュ)の飛行場、大統領府など点的支配に限定されているのに対し、敵対するアルシャバブはモガディシュの大半を支配下に治め暫定政府を追い込んでいる。崖っぷちにある暫定政府を支えているのがアメリカ、国連の力をバックにしたAMISOM(アフリカ連合軍)だ。

1時間ほど待たされた後現れた大統領はイスラムの白い帽子を被り、メガネをかけた一見温厚な感じの人物だった。BBCによれば英語も堪能だと書いてあったが、30分ほどのインタビューの間大統領はソマリア語で話した。それを通訳が英語で訳してくれた。

大統領が最も懸念し、強調したのはアルシャバブに参加しているパキスタン、イエメン、アメリカ(アメリカに渡ったソマリア人移民の2世がアメリカの町にあるモスクでソマリア人による説教によって目覚め=A見たこともない祖国ソマリアに帰り=Aアルシャバブの戦いに参加している)、そしてイギリスなどのアルカイダ系外国人の存在と、国際社会が予算も含め立ち上げ、増強を約束してくれているという国家安全軍(National Security Force)≠フ戦闘能力の向上だ。

いずれも治安の確保、回復と密接に関係した暫定政府存続の鍵を握る重要課題だ。大統領インタビューの後、官邸の一室でソマリア海軍の提督に主に海賊ついての話を聞いたが長いのでここでは割愛させていただく。ただ提督は、海賊は世界のアンダーグランド・ビジネスと密接に手を握り、資金面、船の準備など相当な支援を受けていると話した。身代金の分け前の割合も決まっていて分けているという。

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