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クライング・サウス 〜 Crying South 第1回

ヘリコプターの巻き起こす熱風が容赦なく吹きつける。

ここは南スーダン、タルジャの飛行場だ。着陸寸前、眼下の巨大石油プラントが目に飛び込んできた。オイルタンク、パイプ、煙突、各種重機、大型トラック等々、とくに目を奪うのは青黒い石油が溜まった多くの四角い池だ。
広大なサバンナを切り拓いて建設された石油プラントはアフリカの大地を汚していた。

石油開発のために多くの住民たちは、スーダン政府軍と武装したミリシアの攻撃によって家を追われた。それをScorched-Earth-Operation(焦土作戦)という。

オレたちは迎えの車を待っていた。乗ってきた国連機はすでに離陸し、滑走路には数機のヘリコプターが待機していた。石油関連の人間たちを運ぶのだ。
雨の匂いのする真っ黒な雲がサバンナの向こうから急激に近づきつつあった。

案内役でヌエル族のジェイムスは仲間と再会を歓んでいる。ケニヤ人の助手のディクソンはえらいところに来てしまったという顔をしている。元SPLA(スーダン人民解放軍)将校ジェイムスとオレは数年前ケニヤのナイロビで出会った。ディクソンとは10年以上の付き合いだ。
今回オレは南部スーダン、石油争奪の最前線、とくに中国の影について取材しに来たのだ。どこまで撮れるかはわからない。

車が来た。ヒュンダイのセダンだった。フロントグラスにはイスラムの数珠が揺れていた。南スーダンの最北部、ほとんど南コルドファンと接しているここはアフリカでありながらある意味、アラブ世界でもある。ジェイムスもドライバーも部族語のほか堪能なアラビア語を話す。

スピーカーからはボブ・マーリーが流れていた。車内は狭い、ヌエルのジェイムスは2mを超えている、ディクソンも190p、100キロを超す巨体だ。3人が乗り込むと車は一気に沈んだ。ヒュンダイのフロントグラスはやけに視界が狭い。閉じ込められたような圧迫感と不安の中、車は猛スピードで町を目指した。かなり怖い。ディクソンが運転手にもう少しスピードを落とすよう注意した。サングラスをかけた兄ちゃんは怪訝な顔をして少しだけスピードを落とした。

ついに分厚い黒雲の中から雨が襲いかかってきた。窓ガラスが叩かれ、ワイパーが間に合わない。前が良く見えなくなってきた。あたりはさらに暗さを増してきた。ディクソンだけでない、オレもえらいところにきてしまったと思った。町の様子もまったく想像できない。ホテルとか言ってたけどそんなものホントにあるのだろうか。朧ににじんだ向こうから猛スピードで50トンくらいあるトラックが突っ込んでくる。石油基地に行くのだ。
さすがにジェイムスもディクソンも運転手に向って叫んだ。
「ぶつかるぞ!!」
「正面衝突だ!!」
「わかっているのか、ちゃんと運転しろ!」
だが運転手は慣れたものでうんざりした顔をしながら、何か喋っていた。圧倒的な風を巻き起こしながらギリギリに50トンの塊は疾走して行った。
粘土質のところでついにスタックした。左手前方にはミニバスがやはりはまっていた。

3人で降りて車を押したいところだが、ジェイムスは両足ともに義足だ。杖を突いている。93年、ジェイムスは東エクエトリアでのスーダン政府軍との戦闘で負傷したのだ。戦傷で除隊した今は自分をメジャー(将軍)と呼んでいるが、その真偽はわからない、ただオフィサー(将校)であったことは確かかもしれない。常にサングラスをかけている。

オレとディクソンは舌打ちをしながら仕方なく車を押した。幸運にも意外とあっさりと脱出できた。見た目よりは下が固かったのかもしれない。
遠くにポツリポツリと家が見えてきた。ヌエルの巨大なツクル(わらぶきの円錐形の家)だ、牛が草を食っている。

飛行場からずっと右手には送電線が走っている。いくつかある石油プラント同士を結んでいるのだ。それ(電力)はほとんど全て北のハルツームへと運ばれ、地域の住民たちに何の恩恵ももたらしていないことを思うと、ピンと張り詰め、無限に続くそのワイヤーはおよそこの大地に似つかわしくない。

やや小降りになってきた。2時間近く走っただろうか、集落を抜けた。少しづつ人の匂いがしてきた。一端離れていた送電線が再び目の前に現れた。鉄塔の代わりに今度は電信柱のようなものでつながっている。ガタガタの舗装道路になった。家も増えた。町に着いたのだろうか。しかし大きい建物は何もない。手に教科書を持った学生たちが車の前を横切る。やっと着いたのだ・・・・とはいってもこれが町なのか。泊まる場所が心配になってきた。ジェイムスはホテル、ホテルといっていたが、そんなものどこにも見えない。辺りは水溜りとぬかるみだらけだ。急に気が重くなってきた。こんなところで雨の中取材するのかと思うと元気が出るわけがない。おまけに腹も減ってきた。

【ホテル】

不安が的中した。どこにも建物はない、車は葦で作られた塀の前に止まった。もの凄いぬかるみ、ただ雨に打たれビチョビチョによれたテントが数張りあった。
ここがホテルだ。ジェイムスが「ホテル」「ホテル」と言っていた。

ブッキング(予約)するからといってかなりの金をすでにジェイムスに払い込んでいる。テントを見たとき、そもそも予約なんか存在するのかと大きな疑問が湧いた。

オレもディクソンも一気に疲れが出た。無理だろうとは思ったが、ちょっとばかり熱いシャワーを期待したのだ。だが目の前にはビチョビチョのよれたテントがあるだけだった。こういう気分の時はどうするか、唯一つ、覚悟(アキラメ)≠キるしかないのだ。
腹が減っているので食うしかなかった。

唯一の建物である食堂の中では男たちが昼飯を食べていた。オレタチも注文した。豆ライスと鳥の手羽焼きとぱさぱさのナンくらいしかない。オレは豆ライスを頼んだ。天井のトタン屋根からは雨風が吹き込み、エチオピアから出稼ぎできている二人の女がテーブルを拭き、床にたまった水を押しのけていた。
部屋(テント)の準備をする気配は一向にない。

しばらくするとジェイムスの友だちが中国の石油施設に関しての情報を持ってきた。食堂の片隅で話を聞いた。男は中国以外にもこの近くで石油を探したり、プラントの操業をしている国と会社を地図上で示し、基本的情報を話した後、とくに中国については自分たちの資源を持ち出しているといって不快感をあらわにして出て行った。
それにしても部屋?いやテントの用意はいつになってもできない。
ただバケツと雑巾を持ったおばさんがテントの間を行ったり来たりし始めたのは大きな進展かもしれない。
コーヒーを頼んだらかろうじてインスタント(ネスカフェ)が出てきた。

やっと夕方になって雨も止み、テントに入ることができた。テントに行くまでの間に泥濘に足をとられテントに着いたときにはクツは団子状になっていた。中に入ると湿っていて布地に雨水がしみてジワットひんやりした。鉄パイプ製のベッドが二つ、その上にしなびたマットレスが置かれていた。一応、シーツは変えられていたのでなんとか我慢した。

夜は寒そうなので、ディクソンと一緒に毛布を買いに行くがてら少し町を歩いた。モスクの前の道は舗装されていたが、一歩街中に入るととにかくぬかるみが凄い、良くこんなところで暮らしていると思うくらい酷い。その間にゴミの山が点在している。近くの店屋には無かったので、ジェイムスの弟と一緒に車を拾ってマーケットに行った。市場はかなり大きく、アラブの匂いがぷんぷんとしていた。商人もアラブ風の衣装と帽子を被ったほとんどがイスラム教徒だ。いくつかの店を歩くと、これはハルツームから運んできたものだといって親父が毛布を出してきた。物は悪くないがかなり高い。風邪を引くのもいやだし、仕方なく2枚買って帰った。

南スーダンにはイギリス支配時代にもたらされたキリスト教、英語、そして北部のアラブ人支配者たちが持ち込んだアラビア語、イスラム教といった宗教、文化が混在している。そのどちらにも影響されない土着の価値観を持つ人々も多い。地域によってはアフリカ人同士アラビア語で会話している場合も少なくない。それだけアラブ・イスラムが南部に浸透していたということだ。その点、イスラム教徒同士が戦っているダルフールとはまた違う。南部への浸透、それは北部アラブ人たちによる奴隷狩り、象牙狩りという力による南部の侵略、支配であった。

買い物を済ませたオレタチは雨に濡れたホテル≠ノ戻った。すでにコーランの吟詠も終わり辺りは薄暗くなっていた。テントの中はほとんど真っ暗だ。6時過ぎやっと小さな明かりが灯ったと思いきや、10メートルと離れていないところに置かれたジェネレーターが轟音を立て、咆哮を始めた。直ぐに掃除のおばさんを呼んでいつまでジェネが唸っているのか聞くとだいたい夜中の12時くらいだという。

「・・・・・」、再びオレの目の前は薄暗くなった。

メジャー(かつてSPLAの幹部だったジェームスの渾名)、ディクソン、そしてオレの3人は食堂でナンと鳥手羽を食べた後、外に椅子を持ち出してハイネケンの冷えてない缶ビールを飲みながら雑談をした(ビールがあったのは助かった)。目の前の草むらでは猛烈な鳴き声でカエルの合唱が始まった。風を引きそうなので今晩は水シャワーは無しだ。

その夜、ジェネレーター、カエルの合唱、そして湿ったテントとシーツで眠れなかったのはいうまでもない。日本を出てから南部石油地帯に入るまですでに1週間を要していた。

第2回