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黒い鎮魂/ブラック・レクイエム 第21回

【過ち=UNITED-NATIONS】

そこまで露骨ではないにせよ事務総長のハマーショルドもまた少なくとも"感情的"にはルムンバの追放を思い描いていた。しかしそのことが、アフリカの独立国のその後を間違った方向に大きく導いてゆくとはその時は知る由もない。

厳しい東西対立の真只中で、初めて経験する厳しい状況の中で国連は微妙に揺らいでいた。植民地主義の頸木を脱し、生まれたアフリカの新しい独立国の存続と利益を図ることこそが、最大のマンデート(任務権限)であるといっていい。その後の展開から見た時、明らかに国連は重大な過ちを犯したといっていい。中立を標榜していたモブツであったが明らかにカサブブ支持に傾いていった。それは、ルムンバの立場を一層悪くし、追い詰めるものであった。この時こそ、国連は何をなし、すべきであったのか・・・。それは"中立"を守り、コンゴ議会ならびにアフリカ諸国が懸命に動いていた、和解の動きを支持し、再び合法的である中央政府が再生することを全面的に支持すべきであった。だが、何故かモブツ、カサブブのペース、あるいは自ら反ルムンバのカードを引いていった。

ハマーショルドと国連は、真に和解を望むアフリカ諸国の提案と動きまでも、国連に敵対?する立場をとるソビエト側に立っているものと曲解し、彼らの提案を検討しないばかりか、明らかにアフリカの利益に反する姿勢をとる西側、アメリカ寄りの立場をとっていった。これは明らかに重大な過ちであった。

「この時点でルムンバ派を権力の座から排除することは、困難な事態を緩和するどころか、むしろますます悪化させることをはっきりと示したのであった」(コンゴ独立史)、さらに次のような言葉を挙げておこう「カミタツは"究極的"に分析してみて、ルムンバ氏を恒久的に政治的に排除してしまう★★危険きわまる過誤のように思える・・・ルムンバ氏の支持者や追随者を無視して、権力の座から排除すれば、必ずや重大な結果を招くだろう"」(同)。

"重大な結果"それは、きちんと歴史が証明している、それが、"鎖に繋がれた6人の死"の意味だ。コンゴ、いやアフリカは自らの手で立つ最大のチャンスを逸した。

ルムンバは国連ガーナ部隊に囲まれ公邸にいた。"平和革命"を強行したモブツの手によって、機能の停止した政府に変わって反ルムンバ派を中心とした大学生、卒業生といったエリートを中心とした委員会(The College of Commissioners)が作られ行政機構の復活が計られた。

【暗殺への道】

民主的に選ばれたコンゴが生き延びる残された時間は少なかった。それはまたルムンバの残された時間でもあった。モブツのクーデタの後、ルムンバを首相公邸に実質上の監禁状態に置き、政治的に不能にしても、なおモブツをはじめとした反ルムンバ勢力は、不安でならなかった。いつルムンバが復権して、圧倒的多数の大衆に迎えられコンゴを統治するのか、コンゴの歴史上初めての民主的選挙によって選ばれたという正当性は何人も否定できなかった。

クーデタを実行し、いまや権力の階段を登り始めようとしていたモブツでさえ、毎晩身の安全と不安感に悩まされ、毎夜深酒をしたという。ルムンバ=コンゴ=正当性を覆すには最早非通常の手段に頼るしかなかった。"physically-eliminate(肉体的に消す)"、すなわち暗殺しかなかった。ルムンバの復権を恐れる勢力は3つ+1つあった。アメリカ、ベルギー、モブツ新体制、そして+1は多分国連の一部の連中だ。

9月21日、再びアメリカ国家安全保障会議でルムンバを取り除くためのゴーサインが出た、背後にある大きな画はソビエト封じ込めによるコンゴの私物化だ。しかもより差し迫っていた今回は一層具体的にだ・・・。

CIA長官、アレン・ダレスは繰り返しルムンバのアメリカの権益にとっての危険性を強調した。後に、実際ダレがルムンバを暗殺したのかについて多くが闇に包まれていた。だがここに来て、オランダ人ジャーナリスト、ルド・ウィッテの努力等により暗殺の背景がより鮮明に見えてきた。3つの内のどの力が手を下してもおかしくない状況だった。国連が居ながらもしかし、ルムンバ排除の動き、事態は急速に進行していた。

最も疑われ黒かったのはアメリカ、そのCIAだった。21日の会議を受け、科学担当のCIA主任シドニー・ゴドリーブは「アフリカ土着の、致命的結果を生む病原菌を含む暗殺用具を作り、外交袋に入れレオポルドビルに送り、27日には自らも現地に飛びラリー・デヴリンに対し、その使い方を教えた」(THE STATE…)。

"アフリカ土着の、致命的結果を生む伝染病"、それこそが後にアフリカを死の大陸とまで言わしめた"エイズ"あるいは"エボラ"ウイルスだと見るものも少なくない。それをルムンバの居る公邸になんとか持ち込み、歯磨き粉か、食べ物に塗りつけるという計画だったという、しかし実際には毒の有効期限等の問題があり、デヴリンが言うにはコンゴ河に投げ捨てたという。

つまりアメリカはルムンバ殺害には直接手を染めなかったということか。だがモブツはCIAを通して多額のお金を受け取っていた。その後もこうした金によってモlブツは私的蓄財を重ねていったという。問題はベルギーのほうだ。ベルギーもまたカタンガの権益を守るために(アメリカがルムンバの第二のカストロ化、コンゴのキューバ化を恐れたのに対し、ベルギーはあくまでもカタンガの鉱山をはじめとした自己権益の防衛を第一としている)、ルムンバの完全抹殺を早い段階から計画していた。

計画の中心となったのはベルギー政府のアフリカ担当相で、カタンガ分離行動の中心的立案者でもあるハロルド・リンデンである。モブツ、チョンベ、さらにベルギー関係者の間でルムンバの"処理"に関するミーティングがもたれた、その時のメモはベルギー国王、ボードワンにも送られた。そこには「過去80年間の数々の成功がたった一人の憎むべき政治によって壊されるのは許し難い」(THE STATE…)と書かれてあった。ルムンバの目の前に危機が迫っていた。

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